40代でやめたこと
結婚して3,4年経って、40になった頃、いろんなことを『やめた』
- 掃除を毎日すること
掃除は毎日2,3時間かけて家中を一通り掃除した上で、あちこち年間ルーティンを決めて掃除していた。
掃除魔ろん母仕込みの掃除への執着は結構激しかったのだ。
でも『ここまですることないよな』と思い始めて、少しずつペースダウンをしていった。
舐めるように掃除を毎日することはやめて、1週間くらいで家中の掃除が大体終わるくらいまでに頻度を落とした。 - ものを持ちすぎること
あれこれ捨てまくり、3LDKから1DKへの引っ越しを乗り越えた。
ものが少なくなると掃除の手間も減ったので、一石二鳥だったし、空間が増えるとゆとりがあるんだなって実感できたのもよかった。
結果的に、ある程度の広さの部屋で日常生活は満足できるとわかったので、賃貸暮らしとしては『生涯家賃』を下げられるメリットもあったと思う。 - 流行の服や似合わない服を買うこと
流行の服を買ってもすぐ捨ててしまうのだと気づいた。
合わせて骨格診断などから似合わないなぁと思っていた服が骨格的にも似合わないと知って、買わないことにした。
流行りの服を買うと楽しかったけど、大量に捨てるものを見た時に悲しかったし、すごく『無駄遣いだな』と感じたから
掃除の頻度が下がって時間ができて、空間が増えてゆとりができて、無駄なものを買うお金も時間も節約できて、すごく快適だった。
自分に合う服を厳選して揃えることで、服選びも迷わないし、ストレスも減った。
以前まで旅行に出かけるにも大荷物で大変だったのが、すごく少なくなったし、季節ごとに服を考える必要もないから、身軽な気持ちになった。
いろんなことを手放して、やめていった40代、とっても心地よく過ごしていた。
ろん母ってどんなの?という方はこちらから
人生は短い…が、凡人には長いwww
何かを成し遂げられるような、すごーい人にとって、人生は短いんだと思う。
だけど、ろんは ただの凡人(゚∀゚)イエイ♡
成し遂げるための何かに時間を使わないから、膨大に時間が余ってる。
生産性のない時間も十分に楽しめるけれど、
同じ毎日を過ごす中で気づいてきちゃったのだ。
少しずつ澱のように溜まっていって、最初に顔を出したのは
服のこと
体型は極端に変わっていないから、今までの服は着られるし、多分、そこまで見苦しくないと思う。
ただすごーく正直なところ
同じような服を着てることに飽きちゃった( ´Д`)
次に気づいたのは
掃除のこと
こっちは服と真逆という感じ。
ろん、ずっと自分は潔癖症で綺麗好きなんだと思ってた。
実際、空間は綺麗であって欲しいと今も思ってる。
でも、気づいちゃったんだけど、綺麗好きだけど
掃除はしたくない
掃除、別に好きじゃなかった(°▽°)アッハー
しなきゃいけないと思い込んでただけ
こんなふうにちょっとずつ気づいたり、気持が変化したりが
50代になってポコポコ増えてきた。
捨てたけど拾うことにした50代
40代でものや執着を手放すことには慣れていたから、掃除をよりダウンサイジングする方向にはすぐに方向転換できた。
問題は、一度『捨てた』ことを『拾う』こと
これがなかなか厄介
だって、少ないと
- メンテナンスいらない
- 考えること増えない
- お金かからない
いいこと尽くしだったのに『拾う』ってことは『増やす』ってこと。
ベクトルを反対に思い切り転換するよりも
適度に方向転換させることの方が難しいorz
でも、気づいちゃったんだもん
嫌だと思うことを続けるの嫌だ😤
やめるのやめたこと
ろんがやめるのをやめたことは大きく4つ
『流行の服似合わない服をハナから買わない』をやめる
合理的発想のワードロープに飽きちゃった、ろん。
- 流行の服はプチプラで買うことにした
今年限りの服もプチプラなら買う
これがすごく楽しい❤️
今はプチプラでもいろんな選択肢があるから、あれこれ試せるし、気持も満足✨
今年の秋はツイードを買い足そうかなって思ってる😏 - 似合わなくても惹かれる服も買ってみることにした
限度はあるけど、着てみたい❗️惹かれる❗️服は買ってみようって思ってる。
だって、着てみたいのだ‼️
死ぬ間際に『ジレが着てみたかった😭』なんて思うのは嫌だ。
なんか馬鹿馬鹿しい
着ておけよ、それぐらいって思うと思う。
半世紀生きてきて、似合いそうにないとわかってるのに『着てみたい❗️』なんて心惹かれるなら着てみればいいじゃないか、そう思うようになった
『ものを増やさないと決める』をやめる
3LDKのものを減らすのはすごく大変だった。
何でもかんでもとっておくと大変なことになると一度刷り込まれている。
👆の服を増やすことにも結構抵抗感があった。
そうは言っても
少ないもので暮らすことが、ろんの人生の目的ではない
一度得た快感に囚われて、変な縛りを自分に課すなんておかしな話だ
楽しく快適に暮らしたいだけなんだから
服だけじゃなくて『欲しいな』と感じるものを
- なくてもいいから
- ものが増えるから
そういう理由だけで買うのをやめるのをやめることにした
『1円に重きを置き過ぎる』をやめる
昨日の記事でも出てくるけど
1円に重きを置くことは、もう骨の髄まで染み付いてんじゃないの?ってくらい、息を吸うように自然にしている。
昨日の記事はこちらから
もちろん、悪くないと今でも思う
お金を大切に扱うことは尊重されるべきだと思う。
でも、程度問題かなって思うようになった。
昔の自分(すごーく貧乏)な時に、とにかく質素倹約我慢👊は正義だったと思う
今はもうちょっと年齢や視点が変わってきた。
快適さやストレスを減らすことに重きを置きたい
大体👆こっちに全フリなんてことはない(おそらくできないwww)と思う
『体重を減らすことを目的に食べない』をやめる
あちこちの記事で書いてるけど、50代の身体の変化は伊達じゃぁない💪
もともと決して痩せ形ではないから、体型をある程度の許容範囲に保つには常に注意が必要だった。
特に20代は気をつけないとすぐに膨らんでしまうから、体重調整のために食事を取らないことも日常だった。
本当に自然にそうしてしまう。
しかし、それを続けるのは良くないと感じる
50代で一番重要なのは、体重の増減より健康
美味しいものが大好きだから、食べ過ぎるとダメ🙅♀️と強く思って、食事を調整して止めることも多かったけど
下手に病気にでもなったら、簡単に体重なんて落ちちゃうのだ
健康を損なうほど膨らみ過ぎるのは良くないけど、多分、根強い恐怖心の方が強いから、膨らみ続けることはないと思う。
今は、食べたい時に食べたいものを食べる生活
これを中心にしてる。
そうすると不思議なんだけど、食べたいものを我慢しなくてはって思ってた時は
限定品とか季節物のお菓子とか
食べたくて食べたくて仕方なかった
でも、今は
今年は食べなくてもいいかな
今回はご縁がなかったな
なんて自然に思えるようになった
微調整は一生もの?
今後の時間っておそらくだけど
大変革より微調整中心の生活
そんなふうに最近思ってる。
大きな変化の方が、アドレナリンも上がるし、気持いいけど
そういう変化は自分には歪みが大きいと感じるようになった。
ただ『微調整』はものすごく難しい。
料理本の『適量』みたいなもんだ。
『適量』って『適当』と何が違うんだよ‼️( ´Д`)y━・~~※タバコ吸いません
だけど、快適には生きたいからさー
大体、心配しなくても、いずれ大きな変化(病気・死)は自然に起こるわけだしねぇ(゚∀゚)
ぼちぼち行こう、ぼちぼち
平和な世の中を望んでいます
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