マルサの女の有名シーン
『コップの水が溢れるのをじっと待って、溢れて垂れ落ちてくるのを舐めるんだ』
前回の伊丹十三監督で思い出したんですけど、マルサの女(1987)のこれっぽいセリフ、有名ですよね。このセリフの前提は『喉がからからに乾いてる』んですって。
当時、舐めるだけじゃ満足できそうにないなぁって思ってました。
バフェット(米・著名投資家)はコップじゃなくてバスタブが溢れるのでも待つんじゃないかって話もあるらしいですが、どうなんでしょうね。
喉がからからに乾いていて、待てます?コップが一杯になって、なおかつ垂れてくるの。
清貧?生活の賞味期限
FIREって、『利益で暮らす』『保有資産には手を付けない』っていうのが、基本ですよね。
ファットFIREとかだと、気にならないんでしょうか。お金持ちの持ってるお金は減らないともいいますけど。
以前、ネットの記事かブログか何かで、20代後半の夫婦がFIREした話を読みました。資産は確か3,000万円くらいで、自分たちは生活をミニマムにしてるから大丈夫、って話していた夫婦の後日談みたいなのがあったんです。
結局、奥さんの方が、離婚を切り出して、別々の道を歩くことになったそうです。その理由なんですが。
元奥
この生活を一生続けていくことに希望を見出せない
これを読んで、50代のろんはなんとなくわかるかもーと思ったんです。
年齢が上がるに連れて、生活、変わってきました。
以前なら頑張れていたこと・我慢できていたことが、できなくなったり、体調の変化もありますね。
なんかこんな風にいうとネガティブに聞こえますけど、ろん自身は、20代の頃には全然思えなかった意外な感情が自分の中で芽生えたり、
あんなに頑固にこだわっていたことが、別にいいよね、って許せたり、いろんな変化があって、『生きてると面白いなぁ』と日々感じてますけどね。
20代でFIRE後だと、まだまだいろんなことしたいだろうし、いわゆる『夢』とか『希望』みたいな、字にするとふわふわしてるけど、
実際問題、結構それって大事かもって、奥さんの方は気づいちゃったみたいになったんでしょうかね。ろんの感想的には、若いころにできたミニマム生活がいつまで続けられるだろうっていうのはあるだろうなーって思います。
コップの水はいつ飲むのか
ろんと岩男は二人暮らしで、お互いの両親が亡くなると、遺留分のある法定相続人はいないんですね。資産を残しても、国庫に入るだけなんです。
じゃぁ、使おう!じゃんじゃん、使おう!
って確かにそれはそうなんだけど、20代の方の残りの人生より、大分少ないとはいえ、25〜30年くらいは死ななそうじゃないですか。たぶんだけど。
どんなペースで水飲んだらいいの?
って思うと思いませんか?
ろんの希望的観測
一番、いいシナリオとしては
今まで、なんとなく我慢気味に生活してたところを少しずつ緩めて、これは心地いいなとか、ここまではいらないな、っていうのを確かめて、居心地のいいラインを見極めたいんです。
それで最終的にこのラインがいい!ってなった時のお金の使い方が、保有資産を使っていくペースと合うといいなって、思ってます。
でも、難しいんですよねー
今までの、『我慢』までいかないけど、身についたというか、沁みついたというか、そういうお金を使う感覚からの方向転換というか、シフトダウン?というか。うまいラインにソフトランディングするにはどうしたらいいかと。
まったくの放漫な、お金をどんどん捨ててくような使い方をしたいわけじゃないんです。
ろんと岩男の生活的に、上手に使いたい。
満足感も幸福感も高まるような使い方をしたいんですね。
今、資産形成を始めてる2,30代の人は、もっとちゃんと考えてて、すごいよね。
年齢に応じてちょっとずつ高配当株投資なんかに移行を進めて、インカムゲインとして受け取っていく準備するって計画してる人とかの話、読んだりするし。
岩男がシニアクルーになる前に、大火傷しない程度に
心地よいラインを見極めていきたい(切実)
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