カッコイイ義母との別れの時のこと。夫よ、お前だけは一緒に戸惑うべきだったぞ。

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この前、結婚のことを書いたけど
知らなかったお家の方と急に『姻族』になっちゃう。
結婚って考えるとすごいですよね。
岩男と結婚して驚いたというか感動したのは
義母がとっても個性的な人だったことです。

働くスーパーウーマン

義母は会社経営をしていました。岩男は1966年生まれの長男。義姉はろんと同じ1970年生まれ。岩男の記憶だと、子どもの頃、家に父方の祖母がいたとか。そして、義父は髪結いの亭主として立派にフラフラしていたとのこと。

会社経営はそれなりに山あり谷ありだったようですが、立派に子ども2人を育て上げ、義母(岩男の父方祖母)を看取り、義父を養ってきた、まさにスーパーウーマンでした。

挨拶で初めて家に行った時に招き入れられた書斎には、作りつけの本棚が壁一面に並び、蔵書が所狭しと置かれていました。端にはピアノが。ろんの家とは全然違いましたね。ソファで初めて向き合った義母とろん(お互いの隣に岩男と岩男父)。

残念ながらろんは義母のお眼鏡にかなわず、すったもんだありましたが、ろんとしては義母のことを

かっこいいー

と本当に思っていました。だって、70歳過ぎても、銀行から7,000万円とか引っ張ってこれちゃうんですよ。すごくないです?

人は枯れていくものだけど。人徳者の最期の時

ろんとは相いれませんでしたが、義母は徳のある人でした。

晩年、心身ともに衰えて、周囲の手を借りることが多々あったのですが、周囲の方が嫌がらずに手を貸してくれるんですね。こんなことまでしてくれるの?というようなことまで面倒を見てくれていました。
みなさん一様に

『義母さんには本当にお世話になったから』

すごいなぁと思いました。地域の人助け的なことも随分していたようで、そのために経営が苦しい時期も多々あったみたいです。それでも自分の持てる限りの力で全てを引っ張って頑張ってきた義母。そんな忙しさの中、2人の子のためにシュークリームを家で焼いていた義母。…控えめに言っても、凄すぎる。

脳梗塞で倒れて1ヶ月余りで世を去った義母には、多くの方から惜しむ声を頂きました。葬儀の時にも本当に義母を悼んで涙を流されている人が何人も足を運んでくれて、ここでも義母の凄さを改めて感じましたね。

事件はお通夜の前に!私が決めるの!?

それはお通夜の前のこと、湯灌の最後に起こりました。
納棺師さんの指示に従い、20人余りの親族・姻族に囲まれ、義母が装束を整え終わった後です。

納棺師さん
納棺師さん

最後に、口紅は何色がよろしいですか?

若い納棺師さんは輪の少し後ろの端に座っていたろんに顔を向けて聞きました。
納棺師さんは悪くないと思います。湯灌の前に打ち合わせをしたり、話を聞いたのはろんですから。

納棺師さんの言葉に、その場で全員が、一斉にろんを見て

『何色がいいの?』

という顔をしたんです。岩男も!!

いや、ちょっと待て。ろんはお義母さんに会ったのは、

三回目(結婚の挨拶と結婚式と今)ですが!?

義母は人徳者でスーパーウーマンですごい人だ、それはそう。でも、

人生で三回しかあったことのないおばさまに似合う口紅なんて知らんがな!!

と思いつつも、

…よく撮れていますから、あの写真の色味で

となんとかかわした、ろん。

一同、遺影に目を向けて

『あぁ、本当にいい顔だ』

と納得しつつ、改めて涙にくれ、納棺師さんはローズ系の紅を義母に差しました。

そんな背中の中、ろんはただ1人、岩男を見つめて怨念を送っておりました。

事情を知らない他の人はともかく、3度目の対面と知っている岩男!お前だけは、ろんと共に『どうしよう』と思わなきゃダメだろーが!!

その後、岩男はろんにガッツリ怒られましたとさ。

平和な世の中を望んでいます。

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